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妊婦写真、子供写真撮影のライフフォトブログ
カメラマン先浜恵理子によるlifePhoto blog。妊婦さんや赤ちゃん、夫婦、家族、結婚式の出張撮影をしています。2008年4月に744gの超未熟児で生まれた娘「ももちゃん」の成長日記もおりまぜつつ、日々の撮影記録です。
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レインボーブリッジ
ブリッジ

週に3,4回病院に車で送ってもらう時レインボーブリッジを渡って行くのですが、ここ数年間でずいぶん景色が変わった気がします。「ここはどこ?」と思ってしまうほど、目の前の景色に毎回信じられないような不思議な気持ちになります。ビルや高層マンションの一部屋一部屋に明かりがついているのを見て、ここにどれだけの人が住んで、働いているんだろうなあとぼんやり考えてしまいます。

そんな景色を見ていたらあることを思い出しました。

赤ちゃんが無事に産まれるかわからないと言われてから、私は毎晩ひとり病室の中で彼女へのメッセージを心の中で送り続けました。

「♪うっまれって来ったら、たっのしいぞっ♪」

自分で勝手につけたおかしなメロディにのせて、そのフレーズばかりを心の中で歌いました。そして、自分が今まで出会って来た人たちや友人、家族や親戚のことを思い出し、○○さんはここがやさしいんだよとか、○○さんはママのことをあの時助けてくれたんだよとか、○○さんは物知りなんだよーとか、ひとりひとりを紹介し、「その人たちみーんなに会わせてあげる。だから、生まれてきたら楽しいよー」とよびかけていました。

自分が今まで訪れた場所も思い出しました。○○に行ったときはこんなおかしなおじさんがいてねとか、○○はお魚がとてもおいしいんだよとか、○○の山の上からの景色は素晴らしいよ、とか今まで見た情景や記憶をよみがえらせながら、「そこにぜーんぶ連れて行ってあげる。だから、生まれてきたら楽しいよー」とよびかけていました。

あなたのパパはきっといろんなことを教えてくれて、どんな時もあなたの味方でいてくれるよと。

あなたのママはおっちょこちょいだけれど、おいしいご飯とおやつたくさん作ってあげるからねと。

だから、もし頑張れたら、元気に生まれてきてほしいなと。

そんなふうに毎日よびかけていました。


そのことをふと思い出しました。

メッセージ、彼女に伝わったのかもしれません。
だから私たちに会いに来てくれたのかもしれません。

これから彼女はどんな人たちと出会って、何を感じて、心と身体を成長させていくのでしょう。
そして私たちに、出会ったたくさんの人を紹介してくれるでしょうか。

もうすでに、毎日毎日世話をしてくれているお医者さんと看護師さんに出会った彼女は
きっと思いやりのある、人に優しい女の子になってくれるでしょう。
そう願っています。

さて、「未熟児貧血」で2,3日輸血をしていた彼女ですが、それも昨日、無事終わりほっとしました。
私と同じB型です・・。あらら。
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ゆー
まだ赤ちゃんがお腹の中にいて、集中治療室にいた1週間、一番の困りものだったのが「お通じ」です。
私は普段から便秘症で、1週間やそこら「U」(と書かせていただきます)にお目にかからなくても気にしないほどでした。

入院して3日目、看護師さんから「そろそろお通じがあるといいですね」と言われました。
「そうですね」といいつつ、心の中で「私は便秘症だからそんなにすぐには出ないよ」と軽~くながしていました。
「ベッドに180度の体勢でどうやってUを出すのだろうか」と少し考えましたが、ま、いっかと考えるのをやめました。

夕方、「お通じが出るように弱い便秘薬を処方しますので飲んで下さい」と薬を渡されました。
そして、次に言われた予想外の言葉に一気に下半身が緊張しました。

「あなたの場合、お腹の赤ちゃんがとても小さいですから、Uを出そうと力んだ拍子に赤ちゃんが
出て来てしまう可能性が高いんです」と。

が~ん。(←やや古い)

そんなに私の赤ちゃんは小さいのか!と妄想で頭の中がぐるぐるとまわりました。

その夜、「もしかすると出るかな?」と思ったので軽い気持ちでナースコールを押しました。
看護師さんが飛んで来て「本当に出る?」と真剣に聞かれ、「た、たぶん」と答えたものの自信はなかった私。
「ちょっと先生たちと相談してくるわ」と看護師さんは言い残し、10分経過・・・。

「もしかするとってことがあるから、今から分娩室に移動してもらいます。」と、ベッドごと分娩室に運ばれました。
Uを出そうとしている途中で、お腹の張りに影響を与えてしまい陣痛が始まってしまう可能性が大いにありますからと。
予想外の展開にベッドの上で、「そんな大げさな・・」と思いつつ「でも赤ちゃん出て来ちゃったらどうしよう」と何とも複雑な気持ちでした。

分娩室に移された後、30分ほどモニター(赤ちゃんの心音とお腹の張りを見るもの)をお腹に巻き付けられ、
宿直の先生が呼び出され、内診も始まりました。「異常がないのでUを出してよし!」と許可がおりたのは私がナースコールを押してからすでに1時間後・・

180度に寝た状態で、Uを待ち受ける容器をお尻の下に入れ、少し体がそった状態の私に看護師さんがやさしく一言、
「じゃあ、向こうにいますから出たらよんでくださいね。くれぐれもそっと出してね。」


・・・・・・・・・・・・。

でるかぁああああああああ!!


「そっと」って。そっとUを出したことなんかないもの。こんなえびぞりでUを出したことないもの。
何も力をいれないで、赤ちゃんに刺激を与えないように、Uを出すって、どんだけ器用なんだ!
笑っちゃいけないんだけど、何度もひとりで笑いそうになってしまいました。でも、笑えないのです。
もし、今赤ちゃんが出て来ちゃったらと考えると青ざめるばかり。部屋の外には産科の先生と看護師さんと、産まれてしまった場合に備えて未熟児室の先生たちが待機していたのです。こんなに待ち望まれてUをした事ないなと、笑いたいのに笑えない、ひとり放置されたおかしな時間でした。

その後、「えびぞり」はさすがに長く続けると良くないと判断され、ベッドにうつされたものの、またすぐに便意をもよおすといけないということで、その日は朝まで分娩室でモニターをつけたまま寝ました。すると明け方、隣の分娩室からものすごい悲鳴が!

「いた~い!いや~!きゃ~!」

と、とにかくすごいウメキ声でした。お産が隣の部屋で始まったんですね。「早くでてきて~!」とか「いた~い、もうやだ~」とか人間の声とは思えない恐ろしい声・・。私まで手に汗にぎってしまうほどの緊迫感でした。眠気もふっとんでしまった私は「どうか元気な赤ちゃんが産まれますように」と、ひとり分娩室で祈り続けました。すると数時間後、「オギャー!!」と元気な赤ちゃんの産声が聞こえ、「よかった~」とほっと胸をなでおろしました。

私も何日か後に、ああやってお産できるのかなあとぼんやりと考えたりしました。

翌朝、便意はどこかへ去ってしまったため、あきらめてもとの部屋に戻された私。

そのまま何事もなく2日経過・・。数時間ごとに看護師さんたちが「どお?お通じのほう、出そう?」と部屋に来てくれましたが、その度に答えはNO。薬は飲んでいたものの、私には全く効果がなかったのです。

そして、さすがに6日間Uが出ないと、お腹の張りも強くなってくるのでそろそろ大変だ、ということで今度は下剤を渡されました。「この薬はとても強くて7,8時間後ぐらいに効いてくる可能性がありますから、夜中の2時ぐらいに飲んで下さい。あなたがこの薬を飲むということを担当の先生にも連絡して、未熟児室の先生にも連絡しておきますから、Uが出そうになったらすぐにナースコールしてください」と看護師さんに言われました。

再度、私のUを待つ厳戒態勢・・。

「今の君って、赤ちゃんより待ち望まれてないかい?」

と思い、何度もぷっとふきだしそうに。
でも、みんなは本当に真剣なのです。Uが出てくるか、赤ちゃんが出てくるかでウンデイの差なのですから!

そして4/8の早朝、急にお腹の張りが激しくなりナースコールをよんだところ、「これはUではなく陣痛です」と判断され、お産へ・・・となったわけです。赤ちゃんを産んだ4時間後、やっと待ちわびられたお通じがありました。きちんとトイレまで一人で行ってできました。

やっぱりえびぞりでは無理でしょ。

きたない話でごめんなさい。でも、ものすごい真剣で、おかしな体験だったのでお伝えしました。
お通じって本当に大事なものですね。

赤ちゃんは少しお顔にお肉がついてきた気がします。毎日とても元気です!みなさん応援ありがとうございます。タンポポ茶の効果も何だか出て来た気がします。

娘は毛布(ミニタオル)をかけてあげても、すぐに足がぴょんっ!て出てしまうんです。
らぶ。

あくび

持つべきものは・・
未熟児のママたちにとって「搾乳」はつきものです。

1日8回、3時間おきにお乳を自分で搾って母乳パックにいれ、それを冷凍して未熟児室に運びます。産後、4人部屋にうつった時に「搾乳スケジュール」というのを目にして「みんな他のママは大変だな」と人ごとだった私。その紙には「2:30,5:30,9:00,11:30,14:30,17:00,20:00,23:30」と書いてありました。まさか自分がこんなに早く赤ちゃんを産んで母乳が出るなんて夢にも思っていなかった私は、数分後、看護師さんから「今夜からあなたも搾乳始めますからね」と言われて口をぽか~んとあけてしまったわけです。

しかし・・

母の身体は素晴らしい!

前にも書きましたが、赤ちゃんが胎内で栄養をとっていた胎盤が外へ出ると、何週目で赤ちゃんを産もうが「母乳出して下さい」という指令が脳にいって、きちんと母乳が出るようになっているんですね。本当にびっくりしました。友人に「母乳を病院に運んでいる」と言うと「え!出るの?」と驚かれますが、私も先月までだったら同じ反応をしたことでしょう。

ただ、この「搾乳」、かなり地味な作業です(泣)。入院中は夜中に眠くて起きられなくても、看護師さんが懐中電灯で顔を照らし「搾乳時間ですよ」と起こしてくれ(何だか合宿みたいでした)、部屋の仲間と一緒に励まし合いながら搾ったものですが、退院していざ一人自宅でとなると、自分で目覚ましをかけて夜中に起きて搾らなければいけない!ウトウトしながら手がついついとまってしまい、あわやこぼしそうになったり、起きれなくて1時間でも過ぎようものなら胸がパンパンに張って熱をもってしまい、痛くて痛くてしょうがなくなってしまったり・・。3時間おきとはいえ、30分ぐらいかけて搾り、その後哺乳瓶を消毒したりしているとあっという間に1時間たってしまい、結局1,2時間しか続けて眠れないんですよね。

母乳は未熟児の赤ちゃんにとっては特に、「薬」とかわらないぐらいの栄養を兼ね備え、赤ちゃんの免疫力をつける大切なものと言われています。搾るのがつらい時も「娘のお薬を搾らねば~」と自分を奮い立たせて頑張っております。

が、今まで順調だったものの、一昨日の夜中からかなり出るお乳の量が減ってしまい、不安になり病院に電話をしました。数ヶ月後、赤ちゃんが母乳を実際に吸えるようになった時に、「母乳はもう出ませんよ」、なんて可哀想すぎる!とあせりました。看護師さんからのアドバイスは、とにかく疲れないように休息をとりながら生活を送る事、身体を常にあたためて冷たい飲み物は避ける事、タンポポ茶が母乳を出るのを助けてくれる、などなどでした。タンポポ茶がいいというのは私も聞いた事があり、探してみようと思って電話を切った矢先・・・

母が「こんなの届いていたわよ」と私に手渡してくれたものがこれ!

たんぽぽ


何と、中学からの友人である先輩ママから「タンポポ茶」が届いたのです!!
何てグッドタイミング!!しかも、パッケージがかわゆぃいい!(ちなみに娘は桃子と名付けました。)

たんぽぽもも


たんぽぽ2



持つべきものは友達ですね。本当に涙が出るぐらいうれしかったです。
ありがとう、ともちゃん!!大感謝!すばらしすぎるわ、あなた。
私もこんな贈り物ができる素敵な女性になりたい・・

昨日の夜に早速タンポポ茶を飲み(香ばしくてとてもおいしいです。)、効果を楽しみにしているところです。娘にもおいしい母乳を届けられるでしょうか。

まだまだ乳搾りの日々は続きます・・

ダンゴムシ
今日の赤ちゃんは「うつぶせ」で寝ておりました・・

数日前からこの格好で寝るのがお気に入りのようで、きちんと足を折り畳んで何とも器用な寝方ですね(笑)。


でも!


実は私もこの寝方が子供の頃から大好きで、しょっちゅうこの格好で昼寝をしていたため、私の母によく

「この子はダンゴムシみたいだね」

といって、よくからかわれました。寝相がすでに母に似てしまいましたね(泣)。

私が面会に行く直前まで、顔の向きが反対側を向いていたようで、耳がつぶれて「餃子」のようになっています(大笑)。ぺたーっとしてる!何だかとんがっていてパンサーみたいですね。このつぶれた耳が気持ち悪いのか、この後何度も自分の手で耳を開こうと必死になるのですが、なかなかうまくいかず・・。この姿がめちゃくちゃかわいかったです。何だか途中で可哀想になってしまい、看護師さんによんで耳を開いてもらいました。よかったよかった。

体重が1週間前より60g増えました!本当にうれしいことです。また会いにいくからね!


この大きすぎるオムツも愛おしい毎日です。

うずくまり

にぎにぎ
週末、赤ちゃんに会いに&母乳宅配に行って来ました!といいつつ・・赤ちゃんに会える!と思ったら気があせってしまい、玄関を出てから母乳のクーラーボックスを持っていない事に気づき引き返しました。「いったい、何しにいくの!」と母に怒られました(泣)。

産まれて1週間後には、身体の水分が出て体重が減るらしいのですが、娘も先日の測定で517gにまで減ってしまいました。でも、これは健康な証拠らしいので、この体重からが彼女のスタート地点です!母乳を飲む量も順調に増えていて(管を胃に直接入れているので、「飲む」という表現は少し違うかもしれませんが)、体重も30gほど増えました。

あー、うれしい%82%A8%82%F1%82%D5%82%90

先週、水頭症(脳に水がたまってしまう病気)になるおそれがある、右の脳の部分が少し弱っているので看護を少し強化しています、とお医者さんに言われ、毎晩胸がしめつけられるぐらい心配で眠れなかったのですが、その心配もかなり軽減したと言われてほっとしました。こんなふうに、これからいくつものハードルを彼女は越えていくことでしょう。頑張れ、頑張れ!

週末、一番うれしかったのは、私が手を保育器の中にいれて赤ちゃんの手に指をちかづけたら・・・


その小さな小さな手で、「きゅっ」とにぎってくれたこと。%82%A6%82%A5


「あー、赤ちゃんは一生懸命生きている!!!」と、またウルウルときてしまいました。
また次回会いに行くのが楽しみです。明日で2週間!一歩一歩ね。

にぎにぎ

奇跡

だいぶブログを更新していなくてすみません。大事件が起きまして・・・

赤ちゃんが3ヶ月半も早く産まれました!
きっと春が好きで、桜がひらひらと舞うのを見たくてしょうがなかったのでしょう。
夏に産まれると思っていたら春に産まれ、男の子だと思っていたら女の子が産まれました。

命の大切さを、彼女はたくさん教えてくれました。

以下、私の体験記です。
同じような経験をしている人に、少しでも勇気を与えられたらと思い、記します。

40週前後で通常のお産は始まりますが、私は23週のある日突然、家でテレビを見ていたら破水をしてしまいました。びっくりして病院に行ったら状況が深刻とのことで大きな病院に救急車で運ばれました。それまで仕事もお休みして、ゆったりと家で寝ている毎日だったのに・・

赤ちゃんが無事なのかどうか心臓がどきどきして、救急車の中で涙がとまりませんでした。
担当医の先生に、赤ちゃんが外で生きていくには週数がまだ早すぎて、今手術をしても、母体ともにリスクが高いと言われ、とにかく1日でも長く胎内にいれておいてあげましょうということになりました。

羊水は、赤ちゃんを外の衝撃から守り、肺の成長を助けるのに重要な役割を持っていましたが、私の場合ほとんど外に出てしまい、からっぽでした。出血の止まらない子宮の中では感染症の心配が大いにありました。子宮口が少し開いてしまっていたので、羊水が少しずつたまっても、外に出てしまって、たまらない状態でした。それらを少しでも緩和する数種類の強い薬を母体に投与しながら、ベッドの上に180度で寝たきりの生活が集中治療室で始まりました。最低でも1週間頑張れば赤ちゃんの生存率が高くなると言われましたが、薬の副作用に悩まされ、1分も5分も時間が過ぎるのが遅く感じました。羊水が流れ出る感触を感じる度、涙がこぼれました。

私の旦那さんと母は、毎日ほとんど24時間に等しい看病をしてくれました。家族のありがたみを強く強く感じました。私はこんなに人にやさしくできるだろうかと思うほど、愛情をたくさんもらいました。ご飯を食べさせてもらい、寝返りをうつのを手伝ってもらい、身体を拭いてもらい、髪をとかしてもらい、本を読んでもらい・・・。ひとりでは絶対に乗り越えられない時間だったと思います。

「何でこうなっちゃったんだろうって反省したり、自分を責めたりしたら絶対だめだよ」と、
そんな彼の言葉に何度も救われました。私が私のままでいられればいいのだからと。
母体と赤ちゃんのどちらをとるかという選択肢を毎日つきつけられましたが、
「もし赤ちゃんがだめでもその生命力を理解する覚悟はできています。とにかく母親がまた赤ちゃんを授かれるような身体に戻れるようにして下さい」と、お医者さんに何度もお願いしてくれました。

私の気持ちも全く同じでした。

4日目に恐れていた陣痛がきてしまい、赤ちゃんが苦しんで産まれてこないように、羊水のかわりになる生理食塩水を子宮に注入しながら分娩しましょうと、あわや手術という状況にもなりましたが、数人のお医者さんたちが話し合い、「薬の量を倍にして乗り越えられるなら、あともう1日だけ投与を続けましょう」という結果になりました。とにかく赤ちゃんの命を助けようとみんなが一丸となってくれているのが痛いほどわかりました。頭ががんがん痛み、熱にうなされ、意識がもうろうとした中で24時間を分娩室で過ごしました。横の小さなソファで身体を丸めてうとうとしている旦那さんを横目に、とにかく早く朝が来てほしいと願いました。自分がもう子供を産めなくなったらどうしようと、障害児をもったらどのように育てていこうと、さまざまな妄想が頭をよぎりました。

痛みがおさまったあの日の朝の光が忘れられません。窓越しではありましたが、空が明るくなった時にどんなにほっとしたことでしょう。必ず夜明けはやってくるんですね。

そして、「最低でも」と言われた1週間後、赤ちゃんは「もう、出て来たい」と言ってくれました。陣痛が再度、始まりました。「赤ちゃんの心音がさがったら、途中で帝王切開になります」と言われましたが、心音は最後まで力強く、何とか自然分娩で産む事が出来ました。出て来た時に泣き声は聞こえませんでしたが「赤ちゃんは元気ですよ」と助産婦さんに言われ、心底ほっとしました。

4/8の朝、700gの女の子がこの世に誕生しました。
本当に本当にうれしかった!!

毎日私を勇気づけ、治療をしてくれたお医者さんと、一緒にたたかってくれた助産婦さんたち、応援してくれた友人や、とにかく私を支え続けてくれた家族に心から感謝の気持ちでいっぱいでした。

そして何より、生きてこの世に誕生してくれた娘に、何百回でも何千回でも
「うまれてくれてありがとう」と伝えたかった。

産後、先生にこれから彼女が立ち向かうリスクや障害についてのお話を聞きました。
まだ一人の力で生きていくには時間が必要で、数ヶ月は呼吸器をつけながら保育器の中で看護されるということでした。

始めて対面するまではとにかく緊張して足が震えました。この1週間に自分の身に何が起きたのか冷静になるのに時間がかかりました。でも、そんな不安をよそに、小さな小さな赤ちゃんは足をばたつかせて、あくびをして、とても元気そうで、その姿をみたら洪水のように涙があふれでました。

赤ちゃんの生命力に万歳です!いのちの誕生がこんなにも奇跡だなんて。
私たち一人一人が産まれてきただけですごいことなんだって、教えられました。
誕生日の大切さが何だかわかった気がして、「お母さんありがとう」と心の中で思いました。

産後、入院していた病棟には早産で未熟児を産んだお母さんたちがたくさん入院していました。腸閉塞を併発してしまって31週で帝王切開で産んだお母さん、胎盤早期剥離で病院に運ばれすぐに出産したお母さん、お腹の中で赤ちゃんが育たず苦しくなってしまったため34週で産んだお母さん。

そんなお母さんたちと、産後、「乳搾り合宿」を体験しました(笑)。胎盤が身体から出ると、お母さんの脳には「母乳を出して下さい」と指令が出て、数日間マッサージ(これがとにかく悲鳴をあげるぐらい痛い!)を続けると母乳がでるようになるのですが、3時間おきに、この「搾乳」が開始されました。1日8回の搾乳は、夜中がとにかく眠くて眠くてしょうがなかったのですが、赤ちゃんが少しでも大きく育つようにという願いはどのお母さんも同じで、みんなで励まし合って、お乳を一緒にしぼりました。今でもいい思い出です。

赤ちゃんが一緒にいるお母さんだったら、この数時間ごとに母乳をあげることに加え、おむつをかえたり、泣くのをあやしたり、もっともっと仕事があるんですものね。「搾乳」に専念できる私はある意味、幸せかもと思ったりしました。

面会に行くと、赤ちゃんのちょっとした成長で目がうるうるしてしまいます。赤ちゃんが目をあけた!とか、赤ちゃんが母乳をなめた!とか母乳の量が0.5cc増えただけで、旦那さんと手を合わせて喜んでいます。早くあかちゃんをこの手で抱き上げてあげたい、早く泣き声が聞きたいと気が焦ってしまう毎日ではありますが、そんな小さな小さな成長が私たちへのプレゼントだと思って、これからゆっくりと彼女を見守っていきたいと思います。

しばらく、撮影はおやすみさせていただきますが、生命の誕生の素晴らしさを教えてくれた彼女のためにも、妊婦さんたちの神秘的な姿や、赤ちゃんの愛らしい姿を写真に残すために、絶対に戻って来たいと思います。それまで、少々お待ち下さいませ。これからは、時々赤ちゃんの成長をブログで紹介させていただきます。

命の誕生は私にとって、人生観をかえる大きなものでした。
この気持ちを忘れずに、子育てがんばりたいと思います。

長くなりましたが、みなさん今後ともよろしくお願い致します。


先浜恵理子
もも



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