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妊婦写真、子供写真撮影のライフフォトブログ
カメラマン先浜恵理子によるlifePhoto blog。妊婦さんや赤ちゃん、夫婦、家族、結婚式の出張撮影をしています。2008年4月に744gの超未熟児で生まれた娘「ももちゃん」の成長日記もおりまぜつつ、日々の撮影記録です。
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奇跡

だいぶブログを更新していなくてすみません。大事件が起きまして・・・

赤ちゃんが3ヶ月半も早く産まれました!
きっと春が好きで、桜がひらひらと舞うのを見たくてしょうがなかったのでしょう。
夏に産まれると思っていたら春に産まれ、男の子だと思っていたら女の子が産まれました。

命の大切さを、彼女はたくさん教えてくれました。

以下、私の体験記です。
同じような経験をしている人に、少しでも勇気を与えられたらと思い、記します。

40週前後で通常のお産は始まりますが、私は23週のある日突然、家でテレビを見ていたら破水をしてしまいました。びっくりして病院に行ったら状況が深刻とのことで大きな病院に救急車で運ばれました。それまで仕事もお休みして、ゆったりと家で寝ている毎日だったのに・・

赤ちゃんが無事なのかどうか心臓がどきどきして、救急車の中で涙がとまりませんでした。
担当医の先生に、赤ちゃんが外で生きていくには週数がまだ早すぎて、今手術をしても、母体ともにリスクが高いと言われ、とにかく1日でも長く胎内にいれておいてあげましょうということになりました。

羊水は、赤ちゃんを外の衝撃から守り、肺の成長を助けるのに重要な役割を持っていましたが、私の場合ほとんど外に出てしまい、からっぽでした。出血の止まらない子宮の中では感染症の心配が大いにありました。子宮口が少し開いてしまっていたので、羊水が少しずつたまっても、外に出てしまって、たまらない状態でした。それらを少しでも緩和する数種類の強い薬を母体に投与しながら、ベッドの上に180度で寝たきりの生活が集中治療室で始まりました。最低でも1週間頑張れば赤ちゃんの生存率が高くなると言われましたが、薬の副作用に悩まされ、1分も5分も時間が過ぎるのが遅く感じました。羊水が流れ出る感触を感じる度、涙がこぼれました。

私の旦那さんと母は、毎日ほとんど24時間に等しい看病をしてくれました。家族のありがたみを強く強く感じました。私はこんなに人にやさしくできるだろうかと思うほど、愛情をたくさんもらいました。ご飯を食べさせてもらい、寝返りをうつのを手伝ってもらい、身体を拭いてもらい、髪をとかしてもらい、本を読んでもらい・・・。ひとりでは絶対に乗り越えられない時間だったと思います。

「何でこうなっちゃったんだろうって反省したり、自分を責めたりしたら絶対だめだよ」と、
そんな彼の言葉に何度も救われました。私が私のままでいられればいいのだからと。
母体と赤ちゃんのどちらをとるかという選択肢を毎日つきつけられましたが、
「もし赤ちゃんがだめでもその生命力を理解する覚悟はできています。とにかく母親がまた赤ちゃんを授かれるような身体に戻れるようにして下さい」と、お医者さんに何度もお願いしてくれました。

私の気持ちも全く同じでした。

4日目に恐れていた陣痛がきてしまい、赤ちゃんが苦しんで産まれてこないように、羊水のかわりになる生理食塩水を子宮に注入しながら分娩しましょうと、あわや手術という状況にもなりましたが、数人のお医者さんたちが話し合い、「薬の量を倍にして乗り越えられるなら、あともう1日だけ投与を続けましょう」という結果になりました。とにかく赤ちゃんの命を助けようとみんなが一丸となってくれているのが痛いほどわかりました。頭ががんがん痛み、熱にうなされ、意識がもうろうとした中で24時間を分娩室で過ごしました。横の小さなソファで身体を丸めてうとうとしている旦那さんを横目に、とにかく早く朝が来てほしいと願いました。自分がもう子供を産めなくなったらどうしようと、障害児をもったらどのように育てていこうと、さまざまな妄想が頭をよぎりました。

痛みがおさまったあの日の朝の光が忘れられません。窓越しではありましたが、空が明るくなった時にどんなにほっとしたことでしょう。必ず夜明けはやってくるんですね。

そして、「最低でも」と言われた1週間後、赤ちゃんは「もう、出て来たい」と言ってくれました。陣痛が再度、始まりました。「赤ちゃんの心音がさがったら、途中で帝王切開になります」と言われましたが、心音は最後まで力強く、何とか自然分娩で産む事が出来ました。出て来た時に泣き声は聞こえませんでしたが「赤ちゃんは元気ですよ」と助産婦さんに言われ、心底ほっとしました。

4/8の朝、700gの女の子がこの世に誕生しました。
本当に本当にうれしかった!!

毎日私を勇気づけ、治療をしてくれたお医者さんと、一緒にたたかってくれた助産婦さんたち、応援してくれた友人や、とにかく私を支え続けてくれた家族に心から感謝の気持ちでいっぱいでした。

そして何より、生きてこの世に誕生してくれた娘に、何百回でも何千回でも
「うまれてくれてありがとう」と伝えたかった。

産後、先生にこれから彼女が立ち向かうリスクや障害についてのお話を聞きました。
まだ一人の力で生きていくには時間が必要で、数ヶ月は呼吸器をつけながら保育器の中で看護されるということでした。

始めて対面するまではとにかく緊張して足が震えました。この1週間に自分の身に何が起きたのか冷静になるのに時間がかかりました。でも、そんな不安をよそに、小さな小さな赤ちゃんは足をばたつかせて、あくびをして、とても元気そうで、その姿をみたら洪水のように涙があふれでました。

赤ちゃんの生命力に万歳です!いのちの誕生がこんなにも奇跡だなんて。
私たち一人一人が産まれてきただけですごいことなんだって、教えられました。
誕生日の大切さが何だかわかった気がして、「お母さんありがとう」と心の中で思いました。

産後、入院していた病棟には早産で未熟児を産んだお母さんたちがたくさん入院していました。腸閉塞を併発してしまって31週で帝王切開で産んだお母さん、胎盤早期剥離で病院に運ばれすぐに出産したお母さん、お腹の中で赤ちゃんが育たず苦しくなってしまったため34週で産んだお母さん。

そんなお母さんたちと、産後、「乳搾り合宿」を体験しました(笑)。胎盤が身体から出ると、お母さんの脳には「母乳を出して下さい」と指令が出て、数日間マッサージ(これがとにかく悲鳴をあげるぐらい痛い!)を続けると母乳がでるようになるのですが、3時間おきに、この「搾乳」が開始されました。1日8回の搾乳は、夜中がとにかく眠くて眠くてしょうがなかったのですが、赤ちゃんが少しでも大きく育つようにという願いはどのお母さんも同じで、みんなで励まし合って、お乳を一緒にしぼりました。今でもいい思い出です。

赤ちゃんが一緒にいるお母さんだったら、この数時間ごとに母乳をあげることに加え、おむつをかえたり、泣くのをあやしたり、もっともっと仕事があるんですものね。「搾乳」に専念できる私はある意味、幸せかもと思ったりしました。

面会に行くと、赤ちゃんのちょっとした成長で目がうるうるしてしまいます。赤ちゃんが目をあけた!とか、赤ちゃんが母乳をなめた!とか母乳の量が0.5cc増えただけで、旦那さんと手を合わせて喜んでいます。早くあかちゃんをこの手で抱き上げてあげたい、早く泣き声が聞きたいと気が焦ってしまう毎日ではありますが、そんな小さな小さな成長が私たちへのプレゼントだと思って、これからゆっくりと彼女を見守っていきたいと思います。

しばらく、撮影はおやすみさせていただきますが、生命の誕生の素晴らしさを教えてくれた彼女のためにも、妊婦さんたちの神秘的な姿や、赤ちゃんの愛らしい姿を写真に残すために、絶対に戻って来たいと思います。それまで、少々お待ち下さいませ。これからは、時々赤ちゃんの成長をブログで紹介させていただきます。

命の誕生は私にとって、人生観をかえる大きなものでした。
この気持ちを忘れずに、子育てがんばりたいと思います。

長くなりましたが、みなさん今後ともよろしくお願い致します。


先浜恵理子
もも

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